河北新報 2006年6月26日(月)
田舎で暮らす 上 いい素材と技をつなぐ 地元資源生かし家づくり
地元の木材、地元の職人さんによる顔の見える天然素材の家づくりをー。いわば「住の地産地消」活動を広げようと「杜の家づくりネットワーク」を主宰する建築家、佐々木文彦さん(49)の自宅兼設計事務所は三陸沿岸の漁村にある。
リアス式海岸の人り江に、25世帯が暮らす石巻市北上町十三浜小指集落。その1軒の漁師の家に生まれ育ち
建築の道に進んだ佐々木さんが、仕事の本拠地を仙台市内からふるさとの小指に移しだのは、4年前のことだ。
若いころは、狭い田舎から抜け出したくて都会を目指した。高校卒業後
上京して建築を学び、東京と仙台での設計事務所勤務を経て
二十八歳で独立。仕事の多い都会の方が何かと具合がいいと
仙台に事務所を構え依頼される仕事をこなした。
しかしやがて、無垢(むく)の木材を使い、伝統的な建築技術を生かした
注文住宅を造ろうと、建築家としての方向が定まったとき
佐々木さんは、都会よりも田舎の方が利か多いことに気付いた。
「それまで目を向けなかった足元をよく見ると、大工さんや左官屋さん
建具屋さんなど、まだまだ頑張っている腕のいい職人さんがいた。
山には、輸人材に押されながらもよい木を育てようと懸命な
林業家がいた。設計者一人では家はできません。
そういう専門家たちと力を合わせるには
むしろこちらにいた方が好都合だと思えたんです」
佐々木さんがふるさとを離れたのは、ここには家族を養えるだけの
仕事がないと思ったからでもあった。
しかし、地元の資源を生かし、地域の人と人がつながり合えば仕事が生まれ、ここで生きていけるという
確信にもつながった。考えてみれば、昔はそれが当たり前だった。
「昔からここらでは、自分で使う道具は何でも自分で作った。
農具の柄も山の木で作った。だから職人になる人も
多かったのかもしれないな」と左官業の今野祐吾さん(55)が言う。
今野さんは若いころ、でっち奉公で厳しく技を教えられた。
昔ながらの土壁は裏山の竹を編んで芯(しん)にし、その土地の土
に稲わらを交ぜてこねて塗り固めていく。
しかし、その技を発揮する機会はほとんどなくなってしまっていた。
「でっち奉公して覚えた技が今、ようやく生かせる。
自慢したくなって現場でパチパチ写真を撮るんですよ」と笑う今野さん。
文字通りの本領発揮だ。
大工さんの仕事も、今は工場であらかじめカットされた部材を、現場でビス打ちすることが多い。均質な住宅を定供給するためだ。
これに対し、佐々木さんの設計は木をそのまま見せるものが多いから
金具を使わない伝統の継ぎ手工法が求められる。
腕が問われる場面だ。近くの山の木やその土地で得られる材料を使い、地元の職人さんの手で建てることは
昔は当たり前だった。だから建物も食べ物と同じように風土による違いがあり、自然環境にも調和していた。
そんな家づくりを現代によみがえらせるのが、佐々木さんの目指すところだ。
「木やしっくい壁は湿気を吸ったり吐いたりして、室内の湿度を一定に保ってくれる。今のような梅雨時でも快適です。
極力、化学製品を使わないから健康にもいい。最近は、そういう住宅を望む人が増えてきているなあと感じます」
一時代をさかのぼると、未来が見えてくる。田舎には未未を開く種がある。
(朝市タ市ネットワーク理事・小山厚子)
河北新報 2006年7月3日(月)
田舎で暮らす 下 里山再生へスギPR 風土に適した素材育てる
スギを植林した山は、ブナなど広葉樹の天然林に比べて植生が単調で薄暗いー。そんな先入観は一気に吹き飛んだ。
間伐などの手入れがなされ、適度に日が差すスギ林は、低木や下草に覆われてみずみずしく
山の水を集めたせせらぎが聞こえてくる。
6月11日、建築家の佐々木文彦さん(49)が代表を務める「杜の家づくりネットワーク」が主催して
石巻市北上町に隣接する南三陸町志津川の山林で行われた見学会には、仙台などから約三十人が参加した。
地元の木と地元の職人さんによる自然素材の家づくりを提唱する
同ネットは林業家、製材業、大工、左官、工務店、設計士など木の家づくりにかかわる仲間の集まり。地元の山の木への理解を深めてもらおうと、年に二回、一般向けに見学会を行っている。
この日、見学したのは、ネットワークのメンバーで、林業を言む佐藤久一郎さん(56)と高橋長慎さん(36)の山林。「下草が表土の流出を防ぎ、落ち葉は腐葉土になってスギの生育を助ける。ウサギやキツネなどの小動物のすみかにもなっていますよ」。佐藤さんの説明に、参加者たちから驚きの声が上がる。
中には、近く家を建てる計画の人もいて「この木がわが家になるのかな」と感慨ひとしおだ。湿潤な気候を好むスギは日本固有の樹木で育ちも早く、千年以上の植林の歴史があるという。三陸沿岸は山林が多く、裏山のスギで家を建てるのが普通だった。北上町十三浜小指で生まれ育った佐々木さんの家もそうして建てた。
ところが佐藤さんとの出会いを通じ、佐々木さんは、地元の山の木が思うように利用されず、苦境にあることを知った。里山は、人が利用と手入れを繰り返しながら保ってきた地域資源だ。スギ林は1ヘクタール当たり約3000本の苗木を植え、成長に合わせて育ちの悪い木や間隔を空けるための伐採を繰り返し、40年、50年あるいは80年と育てた太い材を建築材にする。
間伐材も養殖漁業のいかだ、稲干しのくい、建築現場の足場にと利用されて無駄にならなかった。
「子どものころは、スギの葉っぱも風呂やかまどのたきつけに使っていましたよ」と佐々木さん。
山の木は地元の経済や暮らしの基盤で仕事を求めて都会に出なくても生きていけたのである。
環境などと言わなくても、地域で仕事と資源が循環されていた。
戦後復興期の昭和20年代末から30年代にかけて、植林が推奨され、日本中にスギ山が増えた。
それが今伐採の時期を迎えている。しかし皮肉なことに、昭和35年に木材の輸入が自由化されて国産材は売れなくなり
手入れ代さえ出なくなった。見学したスギ山と放置されたスギ山の違いは歴然だった。
ひょろひょろと細い木が密集して暗い。一見、緑豊に見えても、実は「泣いている山」が多いのだ。
「世界的に森林資源は減っている。地元の木や素材で家を造ることの意味は大きく、長い目で見れば利に
かなっていると思うんです。地域と里山の再生につながり、その土地で育った木は気候風土に適しています」と佐々木さん。
現場を飛び回る佐々木さんは、毎日のように北上川河口の美しいヨシ原や山、海を見ながら家路に就く。
「設計のアイディアはそういうときに生まれることが多いですね」
北上川のヨシを断熱材として生かす工法を考えたのは、ネットワークの一員で石巻市で建設業「アットホームおおもり」を営む大森修司さん(48)。ビルの谷間からは生まれない発想が、次々生まれている。そんな父や仲間を見て育った長男宣彦さん(17)が今、地元高校の建築科で学ぶ。森林見学会にも、熱心に説明に耳を傾ける宣彦さんの姿があった。
(朝市タ市ネットワーク理事・小山厚子)
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